さまざまな理論が語った真実はかりに真実であっても、いまだにそれが私自身の真実になっていなければ真実とは言えないのだ。私自身がそうであるなら、人生を歩んでまだそれほど月日が経てていない身の回りの可愛い者たちはなおさらなのではなかろうかと、そのように思う。だから、その「成長」を勝手に期待してはらぬというのか。あるいは、なにごともまずは始まりがあってこそその続きがあるのだと信じるべきなのか。ひとそれぞれの立場に沿って考えていかなければいくらすばらしい発見でもわが真実とはなりえないか。教育の場に置き換えて考えればどうなのか、それが問題だ。
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